'Big' Danny Boy

お久しぶりです。すっかりブログの更新が滞ってしまいました(汗)。先々週末に新居に引っ越したのですが、それから生活環境を整えるのに忙しく(主に家具の購入と諸業者への連絡)、なかなか落ち着いて家で作業をする暇がありませんでした。この間、指導教官とも会い(謙虚でとてもいい人です)、各図書館の勝手も分かったので、研究も本格的に始められそうです!

 

さて、先々週末の日曜日は先述のピアス駅のすぐ横にある、 St. Andrew's Church  の ミサに出てきました。ミサが行われることから察せられる通り、St. Andrew's はカトリック系の教会なのですが、その歴史は古く、パンフレットによると教会の起源は 1170 年より前に遡るそうです [1]。

 

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ミサに参加するのは、アメリカのサマースクール以来でしたが(*筆者は信者ではありません)、朝から荘厳な雰囲気の場所に身を置き、少しは煩悩も消えるかのようでした(笑)

 

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実はこの日は特別な日で、著名なアイルランドの政治家ダニエル・オコンネル (1775-1847) の生誕日がミサ中に祝われていました。

 

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ポスターにあるように、オコンネルは「解放者 Liberator 」の名でダブリンの市民に知られています。何故この字がついたかを理解するには、アイルランド史を少し知る必要があります。

 

12世紀末より、アイルランドはずっとイングランドの属領でした。その証拠に、アイルランドの統治権を教皇ハドリアヌス4世から授かったヘンリー2世は、「アイルランド卿 Lord of Ireland 」という称号を得ています。16世紀になり、ヘンリー八世が王となると、イングランドの国教はカトリックからプロテスタントに変わり、アイルランド人=カトリック/イングランド人=プロテスタントという大まかな区別が出来ます(勿論、改宗しなかったイングランド系アイランド人 [Anglo-Irish] もいるし、長老派のスコットランド系移民もいます)。

 

名誉革命(1688-89)後、主にカトリックの英国王ジェイムズ二世に忠誠を誓うカトリックたち(いわゆるジャコバン派)の反目を防ぐ為に、一連のカトリック刑罰法(Penal Laws)が制定されます。この法の下でカトリックの権利は様々な領域で制限され、参政権は勿論のこと土地の買収、武器の保持、政府要職の就任なども禁止されていました [2] 。18世紀が下るにつれ、徐々に懲罰法は緩和されていくのですが、オコンネルはその巧みな組織力と弁論術を駆使してカトリックの民衆を協力な圧力団体へとまとめあげ、1829年の解放令を以ってついに国政の参与(つまりウェストミンスター議会の一員となること)その他の権利を勝ち取りました [3]。

 

これでカトリックはプロテスタントとほぼ同等の市民権を得たこととなり、その功績を讃えるためにオコンネルの死後、1885年にダブリンの目抜き通りの Sackville Street に銅像が立てられます [4]。

 

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その後 Sackville Street は O'Connell Street へと名称を変えるわけですが、「解放者」は今も昔もダブリンの市民になじみ深い存在のようです。

 

同じカトリックのジョイスにとっても、オコンネルは特別な存在であったようで(一説によるとジョイスの大叔父の John O'Connell は Daniel O'Connell の親戚だとか [5])、作品にも度々登場します。

 

印象的なのは、1914年出版の短編集『ダブリンの市民 Dubliners 』の最後の話「死者たち The Dead」の一節。主人公のガブリエルは、大学で教鞭を取る、中の上の階級のカトリック。神経質で俗者のガブリエルは、他のカトリック(特に西部の田舎の人々)と一緒にされることを嫌い、叔母が主催するパーティでは同僚に「西イギリス人 West Briton」(イングランドにへつらう者の意)と呼ばれ、そのお高くとまった態度をたしなめられます。その結果、より一層ダブリンのカトリック社会からの疎外感を覚えるガブリエルですが、パーティの帰り道に「解放者」の像を見ると、

 

「白い馬を見ずにオコンネル橋を渡ることはないってよく言いますわよね」

「今日は白い男が見えるよ」ガブリエルは言った。

「どこだい?」バーテル・ダーシィは訊いた。

  ガブリエルが指差した銅像には雪がところどころ積もっていた。そしてガブリエルは親しげに銅像に向かって手を振った。

「おやすみ、ダン」彼は陽気に言った。

 馬車がホテルの前に着くとガブリエルは飛び降り、バーテル・ダーシィが抗議するも、運賃を御者に払うと言ってきかなかった。ガブリエルは1シリング余計にお代を払った。御者は敬礼して言った。

「だんな、新年おめでとう! [訳者註:物語の時間は1月6日です]」

「あなたにもおめでとう!」ガブリエルは親しみを込めて言った [6]。

 

ガブリエルが他のカトリックと(かりそめの)連帯感を感じられたのも、オコンネルのおかげでしょうか。オコンネルが最終的に「解放」しようと努めたのは、卑屈な自己像に捕われたカトリックの狭隘な思考なのかもしれません。

 

References

 

[1] Watson, Elizabeth. St. Andrew's Church, Westland Row, Dublin: 'An Enduring Presence'. Dublin. 2007.

 [2] Connolly, S. J. Ed. Oxford Companion to Irish History. Oxford: OUP. 1997. 

 [3] McCartney, Donal. 'The World of Daniel O'Connell'. The World of Daniel O'Connell. Ed. Donal McCartney. Dublin: Mercier Press. 1980.

[4] Hill, Judith. Irish Public Sculpture: A History. Dublin: Four Courts Press. 1994. 

[5] Ellmann, Richard. James Joyce. Revised and Expanded Ed. Oxford: OUP. 1982. pp. 12-3.

[6] Joyce, James. Dubliners. Eds. Robert Scholes and A. Walton Litz. 1914; London: Penguin. 1996. pp. 214-15.