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In Memoriam

お久しぶりです。前回の日記から大分間が空いてしまいました(汗)七月末にはベルファストで国際アイルランド文学会(IASIL)の総会があり、それが終わるや否や友人の結婚式に参列するために日本に一時帰国、八月中旬にダブリンに戻ってからはイギリスに留学中の後輩たちとアイルランドの西部のゴールウェイ/アラン諸島に旅行に行き、その後は溜まりに溜まったタスクや締め切りに追われていました。

 

ひと通りタスクは終わり、新学年度も始まってペースもそれなりに掴め始めたので、今後は(少なくとも)隔週くらいでブログを更新したいと思います(苦笑)。

 

さて、本当であればアイルランド紹介の一環としてゴールウェイ旅行のことを書きたいのですが、去る8月30日に詩人の シェイマス・ヒーニー(Seamus Heaney 1939-2013) が亡くなったので、この場を借りて追悼の言葉を送りたいと思います。

 

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ヒーニーの死に際して、現アイルランド首相のエンダ・ケニー(Enda Kenny)(1はこう述べました。『私たちにとって、シェイマス・ヒーニーは言語、私たちの規範、民族としての私たちの真髄の番人だった』('For us, Seamus Heaney was the keeper of language, our codes, our essence as a people')[1]

 

アイルランド関係者でなくとも、文芸に興味があればヒーニーの名前を耳にしたことがある人はあるだろうと思います。1995年にノーベル文学賞を受賞し、ハーバード、オックスフォード等の大学で教鞭を取り [2]、世界各地で詩の朗読/講演を行ったヒーニーは、国際的にもとても認知されている詩人です。

 

筆者は詩が専門ではないこともあり、残念ながらあまり詳しい説明は出来ないのですが、ヒーニーの作品を読む上で大事なのが彼の出自です。ヒーニーはデリー州の出身ですが、デリー州は北アイルランドの一部です。アイルランドは1922年にイギリスから部分的に独立し、アイルランド自由国(Irish Free State) と北アイルランドに分かれるのですが、後者はイギリス領として残りました。

 

北アイルランドは地理的・歴史的にプロテスタント系入植者(主にスコットランド系長老派と英国国教徒)が優勢な地域の大部分を占め、昔の名称に倣って今も「アルスター」と呼ばれたりします。[3] 1926年の時点では、北アイルランドの総人口に対してカトリックが 33. 5%、プロテスタントが 58. 3% でした。[4] 基本的にプロテスタントはイギリス支持派(ロイヤリスト)なので、そういう意味では分割は合理的な処置だったとも言えるでしょう。ただし、プロテスタント優位体制が存続する北アイルランドで、少数派であるカトリックは雇用、教育、住居などの面で様々な差別を受けました。1960年代になると世の趨勢を反映し、北アイルランドでもカトリックを中心に市民権運動が隆盛します。1968年のデリーでのカトリック教徒によるデモ行進の襲撃を皮切りに、俗に「トラブルズ」Troubles と言われるカトリックとプロテスタントの紛争が勃発します。[5] カトリックによるデモ行為を政治的脅威と感じたプロテスタントの過激派が武力にもの言わせて押さえつけ、それをまたカトリック側の過激派(主に IRA)が報復し、プロテスタントとカトリックの数が比較的拮抗する [6] とデリーやベルファストは最終的には血を血で洗う泥沼の内戦状態に陥りました。1998年のグッド・フライデー合意 (Good Friday Agreement)以来、状況はだいぶ沈静化していますが、未だに多くのカトリックとプロテスタントの居住区の間には鉄線を張った壁や、お互いの縄張りを誇示するための政治的なミューラル(壁画)があります。

 

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ノーベル文学賞の受賞スピーチにおいて、ヒーニーはカトリック系北アイルランド人としての自分のトラブルズに対する両義的な心情を述べています。

 

「私の中のキリスト教的モラリストが IRA による爆撃や殺人のキャンペーンの残虐さを糾弾するよう駆り立てたのに対し、私の中の「ただのアイルランド人」はデリーで1972年に起こった『血の日曜日』[7] のような出来事に見受けるイギリス兵の非道さに驚愕し、私の中の少数派市民 ーー この集団は公私のあらゆる領域で差別と疑惑をそしりを受けたという自覚のもと育ったこの個人だ ーー この市民の見識は、北アイルランドの生活がいつか本当に栄えるためには変化が起こらなければいけないといけないという事実を認識していたという意味では、状況の詩的真実と違わなかった。しかし、この市民の見識はまた、変化を求める IRA の手段の荒々しさは新しい可能性の基盤となる信頼を破壊するものだということを認識していたという意味でも真実と違わなかった」

 

'While the Christian moralist in oneself was impelled to deplore the atrocious nature of the IRA's campaign of bombings and killings, and the “mere Irish” in oneself was appalled by the ruthlessness of the British Army on occasions like Bloody Sunday in Derry in 1972, the minority citizen in oneself, the one who had grown up conscious that his group was distrusted and discriminated against in all kinds of official and unofficial ways, this citizen's perception was at one with the poetic truth of the situation in recognizing that if life in Northern Ireland were ever really to flourish, change had to take place. But that citizen's perception was also at one with the truth in recognizing that the very brutality of the means by which the IRA were pursuing change was destructive of the trust upon which new possibilities would have to be based'. [8]

 

To be continued ... 

 

 

 

 [1] http://www.irishtimes.com/news/ireland/irish-news/tributes-paid-to-keeper-of-language-seamus-heaney-1.1510607

 [2] オックスフォード の Professor of Poetry は、現職員と学生ならびに卒業生により選ばれる。年数回の講義を除いて実質的な教務はなく、どちらかと言えば名誉職に近いCf.) http://www.ox.ac.uk/about_the_university/oxford_people/professor_of_poetry/faqs.html

[3] F. S. L. Lyons, Culture and Anarchy in Ireland 1890-1939: From the Fall of Parnell to the Death of W. B. Yeats (Oxford: Oxford University Press, 1979), pp. 115-45. 

[4] Senia Paseta, Modern Ireland: A Very Short Introduction (Oxford: Oxford University Press, 2003), p. 102.

[5] 詳しくは、Paul Bew, Ireland: Poliitcs of Enmity 1789-2006 (Oxford: Oxford University Press, 2007), pp. 486-555. を参照。

[6] http://www.bbc.co.uk/news/uk-northern-ireland-20673534

[7] 北アイルランド政府が導入した公判なしでの監禁政策に反対するデモに参加した市民にイギリス軍落下傘部隊が発砲、13人の非武装市民が命を落とす。

[8] http://www.independent.co.uk/arts-entertainment/books/features/seamus-heaney-dead-poets-1995-nobel-lecture-8791520.html