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Happy Birthday James Joyce!

こんにちは。気づけば2月になりました。「師も走る」ほどの忙しさと書いて12月と読みますが、一月も同じくらい早く過ぎるような。。。とりあえず今のところは今年の抱負を守っています(笑)。さて、毎回毎回同じネタで恐縮ですが、今日は僕が研究している作家、ジェイムズ・ジョイスの誕生日なのです。1882年生まれなので(1941年没)、生きていれば132歳ですね。ちょうどいい機会なので、今回はジョイスのダブリン時代の経歴について少し紹介したいと思います。

 

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ジェイムズ・オーガスティン・アロイシアス・ジョイス(James Augustine Aloysius Joyce)は1882年の2月2日に、ダブリン南のラスガー(Rathgar)に生まれました。[1] ラスガーは筆者の住むラスマインズ(Rathmines)の近くで、ジョギングをする時はここの地区をいつも通ります。生家には記念のプラークが掲げられています。

 

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ジョイスはジョン・スタニスラウス・ジョイス(John Stanislaus Joyce)とメアリー・ジェイン・マレー(Mary Jane Murray)の間に七人兄弟の長男として生まれました。ダブリンの税徴収官として働いたジョンはアイルランドの南部コーク(Cork)の出身で、ジョイスも時折父親の田舎に帰省したようです。ジョイスの自伝的小説である『ある若き芸術家の肖像 A Portrait of the Artist as a Young Man(1916)』の第2章第3部では、ジョンが息子をコークの友人の前で「やつはしょせんダブリンもんにすぎないよ he was only a Dublin jackeen」[2] と揶揄する場面があったりします。

 

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教育熱心で学歴にこだわりのあるジョンは、息子のジョイスをイエズス会が運営するクロンゴウズ・ウッド・カレッジ(Clongowes Wood College) に入れました。ダブリン州の隣のキルデア(Kildare)州にあるクロンゴウス・ウッドは、今でもアイルランド随一の名門校として知られています。入学の最低年齢は7歳とのことなので、一歳早く入学したジョイスは、既に早熟の才を見せていたのでしょうか。[3] 

 

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学業優秀で学友ともうまくなじんだジョイスですが、父親の浪費癖のせいで家計が傾き、9歳のときに敢え無くクロンゴウズ・ウッドを退学します。その翌々年、クロンゴウズ・ウッドの元学長コンミー(Conmee)神父のはからいで、ジョイスは同じイエズス系のベルベディア・カレッジ(Belvedere College)に入学します。ベルベディアはダブリンの北側、ジェイムズ・ジョイス・センターのすぐ近くにあります。去年の「ブルームズ・デイ」[4] には、『ある若き芸術家の肖像』の第三章で主人公が聞くお説教を本物の神父が実演するという面白い余興が近くでありました。

 

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ベルベディアを1898年に卒業したジョイスは、ユニバーシティ・カレッジ(University College)に入学します。カトリックに改宗して枢機卿となったイギリス人のジョン・ヘンリー・ニューマン(John Henry Cardinal Newman)が初代学長をつとめたカトリック大学(1854年創立)が前身ですが、1883年からイエズス会の手に渡ります。ユニバーシティ・カレッジはダブリンの中央公園である聖スティーブンズ・グリーン(St. Stephen's Green)の北側にあります。毎年夏に開かれるジェイムズ・ジョイス・サマースクールの会場でもあります。

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ユニバーシティ・カレッジでジョイスは現代ヨーロッパ語(フランス語とイタリア語)を専攻しました。大学時代から既にジョイスは異彩を放っていたらしく、1902年に同大学の文芸歴史会(Literary and Historical Society)で詩人ジェイムズ・クラレンス・マンガン(James Clarence Mangan)について発表した論考は、学内新聞で「みなそれを秀逸だと言ったが、何を意味するのかは誰も分かっていないようだ Everyone said it was divine, but no one seeemed quite to know what it meant」と評されています。[5]

 

1902年にユニバーシティ・カレッジを卒業したジョイスは、何を思ったのか医師になろうと志します。最初は同じ大学の医学校に入るも [6] すぐそこをやめ、パリの医学校で勉強すべく1902年の12月3日にパリに渡ります。パリでは、セーヌ側左岸にあるオデオン座(théâtre de l'Odéon)のすぐ隣にあるオテル・コルネイユ(Hôtel Corneille)に部屋を借りました。去年の秋にパリの友人を訪れた際に寄ってみたのですが、生憎もうホテルはありませんでした。。。

 

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肝心の留学はと言うと、あまり医学の素養がなかったのかフランス語での授業は大変だったのか、難航していました。そのうち、授業には出ずサント・ジュヌヴィエーヴ図書館(Bibliothèque Sainte-Geneviève)で文学や哲学の本を読むのが日課となりました。[7] お金もなく、ひもじい暮らしをしているとダブリンから母危篤との電報が届き、ジョイスは1903年の4月11日にパリを去ります。17年後、ポーラ、トリエステ、ローマ、チューリッヒを経て再びジョイスはパリに(実に20年も)住むことになるのですが、それはまだまだ先のお話。

 

急遽ダブリンに戻ったジョイスですが、生憎母親は1903年の8月13日に亡くなり、その悲しみもあってかしばらくは何もせずフラフラしていたようです。1904年の6月10日に将来の妻となるノラ・バーナクル(Norah Barnacle)と知り合い、それがきっかけともなって、同年の10月にジョイスは作家として身を立てるべくアイルランドを離れるのですが、それまで将来像はぼんやりしていました。ノラとの最初の逢瀬を記念して、6月16日に物語が設定されたジョイスの大作『ユリシーズ Ulysses(1922)』は、まさにこの時期の彼とダブリンが舞台なのです。

 

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ユリシーズ』の第7挿話の「アイオロス "Aeolus"」での一場面。ダブリンの目抜き通りであるオコンネル通り(O'Connell Street)近くにあるフリーマンズ・ジャーナル新聞社(The Freeman's Journal)でそこに集まる年上の市民たちとダブリンそしてアイルランドについて様々な談義を交わしたジョイスの分身スティーヴンは、内心こう思います。

 

「ダブリン。僕はまだ沢山のことを知る必要がある Dublin. I have much, much to learn」[8]

 

祖国を離れ、ヨーロッパの都市を転々としながらも、死ぬまでダブリンについて書き続けたジョイス。『ユリシーズ』をはじめ、ジョイスの作品をより良く理解するためには、我々もダブリンについてもっと知るべきなのかもしれません。

 

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Notes

 

[1] ジョイスの生い立ちに関わる情報は全て次の文献による。Richard Ellmann, James Joyce. Revised and Expanded Ed. (Oxford: Oxford UP, 1982).

[2] James Joyce, A Portrait of the Artist as a Young Man (1916; London: Penguin, 2000) 99.

[3] Kevin Sullivan, Joyce Among the Jesuits (New York: Columbia UP, 1958) 13.

[4] ジョイスの小説『ユリシーズ Ulysses』(1922)の物語の舞台となる6月16日にちなんで毎年ダブリンのみならず世界中の都市で催されるお祭り。

[5] St. Stephens, 1/4 (Feb. 1902) 77. この時の論考("James Clarence Mangan [1902]")は、James Joyce, Occasional, Critical, and Political Writing. Ed. Kevin Barry. Trans. Conor Deane (Oxford: Oxford Up, 2000) に収集されています。

[6] St. Stephens, 1/8 (Nov. 1902) 173.

[7] Ellmann 120.

[8] James Joyce, Ulysses (1922; London: Bodley Head, 2008) [7.915].